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このアイテムのアクセス数:
203
件
(
2025-04-18
07:32 集計
)
Permalink : https://hdl.handle.net/10114/10462
閲覧可能ファイル
ファイル
フォーマット
サイズ
閲覧回数
説明
im_WPNo.23_udagawa
pdf
429 KB
292
論文情報
ファイル出力
アイテムタイプ
研究報告書
タイトル
財閥の改革者 : 結城豊太郎と池田成彬
その他のタイトル
Reformer of Zaibatsu:Toyotaro Yuki and Shigeaki Ikeda
著者
著者名
宇田川, 勝
著者名
UDAGAWA, Masaru
言語
jpn
出版者
法政大学イノベーション・マネジメント研究センター
雑誌名
法政大学イノベーション・マネジメント研究センター ワーキングペーパーシリーズ
Working paper series
巻
23
開始ページ
1
終了ページ
20
発行年
2006-11-06
著者版フラグ
Version of Record
関係URI
http://riim.ws.hosei.ac.jp/
シリーズの部分である
Working paper series ; no.23
日本の企業家活動シリーズ ; no.40
内容記述
イノベーション・マネジメント研究センターの許諾済。引用には出典を明記してください。
抄録
はじめに 財閥は同族家業集団であった。財閥同族は、彼らによる封鎖的所有・支配下での多角的事業経営体の形成を目指した。日本経営史における財閥の積極的な存在意義は、財閥が近代産業のリスク・テイカーとなり、日本の工業化=経済発展に貢献したことに求められる。 明治維新以降の工業化過程の中で、有力な経営主体となった財閥は、彼らの経営諸資源を近代産業分野に次つぎに投下して、近代産業のリスク・テイカーとしての役割を果たした。そして同時に、その役割遂行を通じて、財閥は自らの事業経営を多角化した。日本の経済発展と財閥の多角経営は「親和性」を有していたのである。 しかし、そうした「親和性」は第一次大戦後の経営環境の激変の中で、大きく揺らぎ始めた。第一次大戦ブームの出現は、財閥に絶好の成長機会を提供した。空前の市場拡大と高収益を活用して、各財閥とも積極かつ多様な経営戦略を展開し、事業の拡大と多角化を追求した。そして、財閥は、拡大した事業を効率的に所有・管理するシステムとしてコンツェルン体制を採用した。 第1次大戦ブームは 1920(大正 9)年恐慌の発生で崩壊し、日本経済は長い不況局面に突入した。相次ぐ恐慌の発生によって企業の倒産が続出し、失業者が増大した。また、農村経済の疲弊によって、欠食児童や娘の身売りが社会問題化した。そうした経済不況と社会不安の進行の中でも、財閥の成長は続いた。とくに巨大な経済力を構築した三井、三菱、住友、安田の四大財閥は破綻した企業の一部を吸収しながら事業規模を拡大し、主要産業分野で覇権を確立した。財閥の肥大化と財閥同族による「富」の独占の進行は生活苦と社会不安にあえぐ国民大衆にとって、怨嗟の対象となった。そして、彼らは財閥を有効な経済・社会政策をとりえない政党政治の資金的スポンサーと見なしていたのである。 国民大衆の財閥に対する怨嗟は、ジャーナリズムや左翼・右翼陣営による煽動もあって、やがて財閥批判・攻撃に転化していった。そして、そうした社会状況の中で、1921 年 9月、安田財閥創始者の安田善次郎が、さらに 1932(昭和 7)年 3 月、三井合名理事長団琢磨が国粋主義者や右翼の手で暗殺されるという事態を招いてしまった。財閥が受けた衝撃は大きく、各財閥とも財閥攻撃の嵐から自己を守るため、また、社会との新たな「親和性」の構築を求めて、各種の財閥改革を実施しなければならなかった。 本稿の目的は、安田善次郎の暗殺後、安田財閥の改革・近代化策を推進した結城豊太郎と、団琢磨の暗殺後、三井財閥の「転向」策を断行した池田成彬の企業家活動を通して、両財閥の改革とその限界を比較・検討することにある。
資源タイプ
Working Paper
インデックス
資料タイプ別
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研究調査報告書
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イノベーション・マネジメント研究センターワーキングペーパー [Working Paper]
204 イノベーション・マネジメント研究センター (旧: 産業情報センター)
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研究調査報告書
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イノベーション・マネジメント研究センターワーキングペーパー [Working Paper]
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